解約予告は出したものの、「居抜きで退去できるのか」「貸主にどう切り出せばいいのか」が分からないまま、日だけが過ぎていく。オフィス移転の実務では、よくある状況です。原状回復の負担範囲や費用相場を解説した情報は数多くありますが、実際に退去を進める順序を時系列で示したものは多くありません。この記事では、貸主への事前相談から次テナント探し、造作譲渡契約、原状回復免除の合意、退去完了までを実務の順番どおりに整理します。読み終えたときには、自社が今どの段階にいて次に何をすべきかが判断できるはずです。
居抜き退去とは?原状回復(スケルトン戻し)との違い

まず前提として、居抜き退去がどういう仕組みで成り立つのかを押さえておきます。ここを理解しないまま貸主と話すと、交渉の入口でつまずきます。
居抜き退去のしくみと成立条件
居抜き退去とは、内装・什器・設備を撤去せずに残したまま退去し、それを次のテナントが引き継ぐ形です。通常の退去では、借主が費用を負担して内装を解体し、コンクリート現しの状態(スケルトン)または契約時の状態に戻します。100坪規模のオフィスなら原状回復工事だけで数百万円単位の出費になることも珍しくありません。居抜きなら、この工事費が原則として発生しません。
ただし、居抜き退去は借主の意思だけでは成立しません。成立には次の3つが同時に揃う必要があります。
- 貸主(オーナー)が居抜きでの引き渡しを承諾している
- 内装を引き継ぐ次のテナントが決まっている
- 現借主と次テナントの間で造作譲渡の条件がまとまっている
言い換えると、居抜き退去は「原状回復をしない」という選択ではなく、「原状回復義務を果たさなくてよい状態を、関係者の合意でつくる」プロセスです。この認識のズレが、後述する失敗の多くの原因になっています。
原状回復の負担範囲は貸主との合意次第
そもそも原状回復としてどこまで戻す義務があるのかは、契約書の記載と当事者間の合意で決まります。オフィスの賃貸借では、住宅と違って経年劣化分まで借主負担とする特約が置かれているのが一般的です。「壁紙は残していいのか」「間仕切りは撤去必須か」といった線引きは物件ごとに異なるため、居抜きの相談を始める前に自社の契約書を読み直しておいてください。
負担範囲そのものの詳しい考え方は、原状回復義務の法的根拠(民法上の負担範囲)と原状回復の負担範囲がどこまで及ぶかの詳細で整理しています。本記事では、その知識を前提に「どう進めるか」に絞って解説します。
居抜き退去完了までの標準スケジュール
居抜き退去は、思い立ってすぐできるものではありません。次テナント探しと交渉に時間がかかるため、逆算した動き出しが成否を分けます。オフィス賃貸では解約予告6カ月前が一般的なので、それを起点にした標準的な進行を示します。
解約予告6カ月前〜4カ月前:貸主への相談と承諾取得
最初の2カ月は、貸主・管理会社との合意形成に充てます。解約通知を出す前後のこの時期に、居抜きでの退去を検討している旨を伝え、可否の感触をつかみます。貸主側も社内稟議や賃料条件の再検討が必要になるため、返答に数週間かかることを見込んでおきましょう。ここで承諾の見込みが立たなければ、原状回復工事の見積もり取得へ早めに切り替えます。
4カ月前〜2カ月前:次テナント探しと造作譲渡交渉
承諾の目処が立ったら、内装を引き継ぐ次のテナントを探します。募集開始から入居希望者の内見、条件交渉までで通常2カ月前後。居抜きオフィスを探している企業は一定数いるものの、坪数・立地・レイアウトの相性があるため、複数の候補と並行して話を進めるのが現実的です。
2カ月前〜退去日:契約締結と引き渡し準備
候補が固まったら、次テナントと貸主の賃貸借契約、現借主と次テナントの造作譲渡契約、貸主との原状回復免除の合意を並行して締結します。その後、残置する設備の動作確認、産業廃棄物として処分する私物・書類の搬出、電話やネットワーク回線の移設手配を進めます。引き渡し当日は貸主・次テナント立ち会いのもとで現況を確認し、鍵を引き渡して完了です。
居抜き退去の進め方【5ステップ】
ここからは、実際に何をどの順序で行うかを5つのステップに分けて解説します。順序を守ることが、そのままリスク回避になります。
ステップ1:貸主へ居抜き退去の意向を伝え、事前承諾を取り付ける
すべての起点は貸主への相談です。順番を飛ばして次テナント探しから始めるのは避けてください。物件の所有者は貸主であり、誰に貸すかを決める権限も貸主にあるためです。
相談の際は、貸主にとってのメリットを添えると話が進みやすくなります。具体的には「原状回復工事の期間中に空室にならない」「工事の騒音や搬出入で他テナントに迷惑をかけない」「次の入居者を借主側で探すので募集期間が短縮できる」といった点です。貸主にとって最も避けたいのは空室期間の発生なので、切れ目なく次のテナントが入る絵を示せると前向きに検討してもらいやすくなります。
言い出しにくいと感じるかもしれませんが、居抜きでの引き継ぎ自体は市場で広く行われている手法です。貸主や管理会社にとっても珍しい相談ではないので、構えずに切り出して問題ありません。
ステップ2:次テナント(造作譲渡先)を探す
貸主の承諾が得られたら、内装を引き継ぐ企業を探します。探し方は主に3つです。
- 貸主・管理会社に募集を任せる:手間はかからないが、居抜き前提の訴求が弱くなりがち
- 居抜きオフィス専門の仲介会社・マッチングサイトに掲載する:居抜きを希望する企業に直接届く
- 取引先や同業他社に声をかける:条件が合えば最短で決まるが、母数が少ない
実務上は2を軸に、1と3を併用するのが効率的です。募集にあたっては、平面図、什器・設備のリスト、電気容量や空調の仕様、直近の写真を揃えておきましょう。情報が整っているほど内見前の絞り込みが進み、決定までの期間が短くなります。近年はセットアップオフィス(内装が施工済みの状態で貸し出される物件)を探す企業が増えており、居抜き物件そのものの需要は以前より高まっています。
ステップ3:造作譲渡契約を交渉・締結する
次テナント候補が見つかったら、内装・設備をいくらで、どの範囲まで引き渡すかを決めます。これが造作譲渡契約です。決めるべき項目は次のとおりです。
- 譲渡対象:間仕切り、床・壁の仕上げ、照明、空調、什器、什器備品のうちどこまでか
- 譲渡金額:無償譲渡とするか有償とするか。原状回復費が浮くこと自体が大きな利益なので、無償〜低額での譲渡も選択肢になる
- 引き渡し時の状態:清掃の程度、故障している設備の扱い
- 契約不適合責任の範囲:引き渡し後に設備の不具合が出た場合、誰がどこまで負担するか
特にトラブルになりやすいのが最後の項目です。「引き渡し後◯カ月以内に判明した不具合は現借主が対応する」「現況有姿での引き渡しとし、引き渡し後の不具合は次テナント負担とする」など、期間と負担者を明記しておきます。設備の不具合を把握しているなら、隠さず事前に伝えたほうが結果的に安全です。
ステップ4:原状回復免除を貸主から合意してもらう
ここが居抜き退去の核心です。次テナントが決まっても、貸主との間で原状回復義務の免除が書面で確認されていなければ、退去後に工事費を請求される可能性が残ります。
合意すべき内容は、「本物件は現況のまま次テナントへ引き渡すものとし、貸主は借主に対して原状回復義務を免除する」という趣旨です。あわせて、どの範囲を免除するのか(残置物のうち一部は撤去が必要なのか)、敷金・保証金の精算をどう扱うのかも明記します。口約束や担当者レベルのメールだけで済ませず、合意書・覚書として書面化してください。担当者の異動や物件の売却でオーナーが変わったとき、書面がなければ主張の根拠を失います。
ステップ5:賃貸借契約を切り替え、退去を完了する
最後に、次テナントと貸主の間で新しい賃貸借契約を締結し、現借主は解約手続きを完了させます。実務では、次テナントの契約開始日と現借主の解約日をどう接続するかが調整ポイントになります。日付が重なると二重に賃料が発生し、空くと貸主に空室損が出るため、原則として切れ目なくつなぐ形で調整します。
引き渡し前には、什器の残置範囲が造作譲渡契約どおりか、機密書類やデータが残っていないか、電気・電話・ネットワークの契約解除や移設が済んでいるかを確認します。当日は三者立ち会いで現況を写真に残しておくと、後々の認識違いを防げます。
手順を誤ると起きやすい失敗とその回避策
居抜き退去の失敗の大半は、知識不足ではなく順序の誤りから生じます。代表的な2つのパターンを押さえておきましょう。
賃貸借契約より先に造作譲渡契約を進めてしまうリスク
次テナント候補と話が盛り上がり、造作譲渡の金額や範囲を先に固めてしまうケースがあります。しかし、その候補企業が貸主の入居審査に通らなければ、契約はすべて白紙です。審査では企業の財務状況や事業内容が見られるため、当事者間で合意していても通らないことはあります。
回避策は単純で、造作譲渡契約に「次テナントと貸主の賃貸借契約が成立することを条件とする」という停止条件を入れておくことです。そのうえで、賃貸借契約の締結が見えてから造作譲渡契約を正式に締結します。このほか、居抜きに伴って起きやすい問題の全体像は居抜きオフィスで起きやすいトラブルの防止策にまとめています。
貸主に無断で進めて承諾を得られなくなるケース
「決まってから報告したほうがスムーズだろう」と考えて、貸主に伝えないまま次テナントを探すのは逆効果です。多くの賃貸借契約では、無断での転貸や第三者への物件情報の開示が禁止されています。契約違反を問われるだけでなく、貸主の心証を損ねて居抜き自体を拒否される展開になりかねません。
貸主にも、既存内装のままでは賃料を下げざるを得ない、次の募集戦略が変わる、といった事情があります。早い段階で共有し、一緒に進める姿勢を取るほうが、結果的に承諾を得やすくなります。
次テナントが見つからない場合のバックアッププラン
すべての物件が居抜きで決まるわけではありません。決まらなかったときにどう切り替えるかを、あらかじめ決めておくことがリスク管理になります。
解約予告期限までに譲渡先が決まらないときの判断基準
判断のタイミングは、退去日の3カ月前です。この時点で有力な候補が1件もなければ、原状回復工事に切り替える前提で動き始めてください。工事は業者選定から見積もり、施工まで通常1〜2カ月かかり、繁忙期(2〜3月、9月)はさらに延びます。ぎりぎりまで居抜きに賭けて工事が退去日に間に合わないと、明け渡し遅延として賃料相当の損害金を請求される事態になります。
現実的な打ち手は次の3つです。
- 造作譲渡の条件を緩める:有償を無償に切り替える、譲渡範囲を柔軟にする
- 一部だけ居抜きにする:主要な間仕切りや空調だけ残し、他は撤去する形で貸主と合意する
- 解約日の延期を相談する:貸主が合意すれば、賃料を払いつつ探す期間を延ばせる
なお、居抜きとスケルトン戻しでは費用も所要期間も大きく変わります。どちらに転んでもいいよう、早い段階で両方の見通しを持っておくと判断が速くなります。判断材料として居抜きとスケルトン戻しの費用・期間の比較も確認しておいてください。
自社だけで抱えない|専門家・仲介会社の活用
居抜き退去は、貸主との交渉、次テナント探し、造作譲渡契約、原状回復の免除合意と、性質の異なる調整が同時に走ります。通常業務と並行してこれを回すのは、総務担当者にとって相当な負荷です。無理に自社だけで抱える必要はありません。
次テナント探しは居抜きオフィスを扱う仲介会社に任せると、募集の母数が一気に増えます。造作譲渡契約や免除合意書の文面は、不動産に詳しい弁護士や行政書士にチェックしてもらうと、契約不適合責任の抜けを防げます。原状回復の範囲や見積もりに疑問があれば、貸主指定業者とは別に第三者の内装業者へ相見積もりを取り、妥当性を確認する方法もあります。
費用はかかりますが、原状回復工事費が数百万円単位で変わり得る場面です。専門家への数十万円が結果的に大きく回収されるケースは少なくありません。まずは1社に現状を相談し、居抜きで決まる見込みがあるかを聞くところから始めるとよいでしょう。
よくある質問
この記事に関してよく寄せられる質問をまとめました。
居抜き退去の準備はいつから始めればいいですか?
解約予告期間が6カ月の契約なら、退去日の6カ月前が目安です。貸主との合意形成に約2カ月、次テナント探しと交渉に約2カ月、契約手続きと引き渡し準備に約2カ月かかると見ておけば、無理のない進行になります。予告期間が3カ月の契約では居抜きで決めるのは難易度が上がるため、契約書の予告期間を早めに確認してください。
貸主が居抜き退去を認めてくれない場合はどうなりますか?
貸主が承諾しなければ、原状回復工事を行って明け渡す通常の退去になります。ただし断られる理由は「建物全体のリニューアル計画がある」「次の募集方針と合わない」など個別の事情であることが多いので、理由を確認する価値はあります。一部だけ残す形なら認められる、といった中間案で合意できることもあります。
造作譲渡は必ず有償にする必要がありますか?
いいえ、無償譲渡でも問題ありません。現借主にとっての最大の利益は原状回復費の削減なので、譲渡金額にこだわりすぎて話がまとまらないほうが損失は大きくなります。譲渡金額を求めるなら、次テナント側が内装をゼロから作る場合の費用と比べて、双方が得をする水準に収めるのが現実的です。
原状回復が免除されれば、退去費用はゼロになりますか?
ゼロにはなりません。私物や書類の搬出、産業廃棄物の処分、什器の一部撤去、ネットワーク回線の解約・移設、清掃などの費用は残ります。ただし工事費が大部分を占めるため、総額は大きく下がります。免除の範囲に「どこまで撤去が必要か」を明記して、想定外の作業が出ないようにしておきましょう。
居抜きで入居する側にはどんなメリットがありますか?
内装工事費とその工期を圧縮できる点です。ゼロから内装を作ると設計から施工まで数カ月かかりますが、居抜きなら短期間で入居できます。移転コストを抑えたい企業にとっては有力な選択肢で、この需要があるからこそ退去側の居抜きも成立します。
まとめ
居抜き退去は、原状回復工事費を大きく削減できる一方、貸主・次テナント・現借主の三者の合意が揃って初めて成立します。鍵になるのは進める順序です。貸主への相談を最初に置き、次テナント探し、造作譲渡契約、原状回復免除の合意、契約切り替えという流れを守れば、多くのリスクは避けられます。
- 起点は貸主への事前相談。無断で次テナントを探すのは契約違反のリスクがある
- 解約予告6カ月前から逆算し、2カ月ずつ3段階で進める
- 造作譲渡契約には「賃貸借契約の成立」を条件として入れる
- 原状回復免除は必ず書面で残す
- 退去3カ月前に候補ゼロなら、原状回復工事へ切り替える
まずやるべきことは2つです。自社の賃貸借契約書を開いて解約予告期間と原状回復に関する条項を確認すること、そして貸主または管理会社に居抜き退去の可否を打診することです。この2つが済めば、残りの手順は本記事の流れに沿って進められます。
時間的な余裕がないと感じても、まだ打てる手はあります。今いる段階を確認して、次の一手から着実に進めてください。


